ずまログ

日常/非日常の印象を徒然なるままに綴ります

短編39:今は亡き王女のための

僕がまだ若い頃、大学の知人でこんな人がいた。といっても冒頭がそう感じた訳ではなく、僕の友人がその知人を評してそのような見解を述べていたのだ。あいつはまるでこの王女のようだ、と。 「僕」が王女と過ごしたあの夜について読んでいると、読み手である…

短編37:タクシーに乗った男

冒頭はインタビューを生業とする聞き手がインタビューに臨む際の姿勢について持論を語り、絵画において大切なことは対象の核となる部分を抑えることだという著者のいわば創作姿勢について語っている様でもあるる。 その後、ある印象的な画廊オウナーの女性の…

短編35:雨やどり

好意と好意が出会って自然発火して山火事みたいになってたっけ。そんなこともあったかなー。

短編33:プールサイド

『駄目になった王国』と共通するプールサイドの場面ではあるが、本作の方が遥かに立体的な構成になっている。なぜだろう。それは、前作では話し手と聞き手が久しぶりに会う友人(但し相手は気づいていない)といういわば並列関係だったのに対し、本作では会…

短編32:とんがり焼きの盛衰

とんがり焼きは小説のメタファーとして読める。「新作募集大説明会」は小説雑誌に応募して新人賞などを選考する会だとすると、「皮の部分がもったりして」「今の若い人間がこんなの好」むとは思えないというくだりは痛烈な批判の雰囲気をまとう。それでいて…

短編31:鏡

カプグラ症候群の話かとも思ったけど、違うみたい。うわー、怖い。自分自身が知らない誰かになってしまうのって凄く怖いな。

短編28:チーズケーキのような形をした僕の貧乏

土地の形についての説明がとても上手だ。その土地をみたことがなくても想像できる。 それにしても「三角地帯」という言葉には意味深なものがある。どこかの紛争地域のことを指しているのかなと思わなくも無い。

短編27:駄目になった王国

期待が大きい程、失望もまた大きい、ということだ。

短編23:おだまき酒の夜

これもどちらかというと、奇譚の部類に入るのでは無いか。限られた文字数の中に意外と沢山のキャラクターが登場し押し合いへし合いしている。内容はぶっ飛んでいるが、僕は好きだ。あと、おだまき酒が飲んでみたくなってくる。どんなものか分からないけど。

短編22:月刊「あしか文芸」

人をおちょくっているような、冗談のような文章だが、著者特有のユーモアが感じられる。

短編21:図書館奇譚

もう一つの羊をめぐる冒険というべきか。僕はまだ子供で、羊男は大人。脱走のシーンはまるで、自分の影と協力して門番が支配する壁に囲まれた街から逃げ出そうとする物語りに似ている。

短編20:書斎奇譚

啞の美少女と先生という組み合わせは『1Q84』のふかえりとその保護者を思い起こさせる。薄闇の描き方が秀逸だし、光が苦手な先生は夢読みやリーダーに繋がっている。ぬめぬめとした手触りの何やら分からないものに対する気持ち悪さが伝わってくる。

短編19:窓

切なく微笑んでしまう作品だ。22歳の僕はどんなだったろうと自動的に思い返してしまう。「リアリティーとは伝えるべきものではなく、作るべきものなのだ。そして意味というのはそこから生まれるべきものなのだ」というくだりに著者の執筆姿勢が現れているよ…

短編18:1963/1982年のイパネマ娘

イパネマ娘と同じように、村上春樹作品の「僕」も歳を取らない。僕が高校生のとき、「僕」は僕よりも年上だったし、今の僕は「僕」よりも年上になってしまっている。今後は僕らの歳の差はひらく一方だ。イパネマ娘と主人公の対話のように僕も「僕」と時々会…

短編17:あしか祭り

思わずクスリと笑ってしまう。メタファーとしてのあしか。著者にとっては文芸誌の担当者とか文壇の関係者などを暗に表しているんだろう。一般世間にもあしか的なるものは存在する。僕らが社会的存在である以上仕方ないのかも知れない。いくら個人的でありた…

短編16:サウスベイストラット

私立探偵が主人公というアクション小説のようなハードボイルドな内容。サウスベイの街の描写が寒々として素敵だ。待つことが大事というセリフに著者の執筆姿勢が偲ばれる。おそらく、『世界の…』のハードボイルドワンダーランドにこの世界観が吸収されたのだ…

短編15:彼女の町と、彼女の綿羊

この短編は三段階に色合いが微妙に変わる。まず札幌の友人を訪ねる場面。人生は偶然に支配されているという主張とすでに時は過ぎてしまったという感慨が述べられる。そして、転換機を経て二段階目→ホテルに移動し彼女の町と綿羊について語る女性にTV画面越し…

短編14:タクシーに乗った吸血鬼

異世界への穴は日常の中にポッと開いているものだ、ということを思わせる。ありそうな話だし、この運転手が本当に吸血鬼かどうかなんて実証はできないしする意味もない。可能性はありうるのだ、というだけで十分なのだ。それにこの高度情報化社会では、どこ…

短編13:32歳のデイトリッパー

今の僕に18歳に戻りたいかと聞かれても、戻りたくないというだろう、一度だけで十分だと。だから主人公の言葉にも素直に肯ける。この話に出てきた18歳の彼女がせいうちの様にかわいいという記述が気になる。せいうちの寿命は、20年から30年と言われている。…

短編12:あしか

孤独について描かれている。孤独であるというのは、ある意味で幸せなことだと思う。でも人間の群れの中にいると、そんな孤独を放っておいてくれない。お節介な人は必ずいるものだ。また、長い目でみればそういう人の有り難みも感じたりすることもあるものだ…

短編11:カンガルー日和

動物園に、生まれたばかりのカンガルーの赤ちゃんを見に行くカップルの話。それだけといえばそれだけなんだけど、でもそれだけじゃない。大袈裟にいえば、人生の縮図がそこには描かれている。何かをしようとすれば、それを邪魔するようなあれやこれやがあり…

短編08:かいつぶり

これはもう楽しく読んだ。著者らしいユーモアが溢れている。それに、ドアまでたどり着く経緯や、ドアにたどり着いてからの係員とのやり取りも不条理に満ちている。

短編07:眠い

ナルコレプシーの様な病的な眠気の話かと思うが、読み進めるうちにどうやら違う様だと感じる。誰かの結婚式に出席するたびに眠くなるというのだ。主人公の恋人は、それについて理由を探そうとする。主人公はただ眠いだけなんだ、と言って彼女のいうことに取…

短編06:四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて

なんて切ないお話だろう、100パーセントの女の子に出会うということはどういうことなのか。それは奇跡だ。若い頃にはそれが人生で一度あるかないかのことだということが実感として理解できない。ある程度歳を重ねてみれば、そういう出会いが奇跡的なものだと…

短編05:スパゲティーの年に

ここに描かれているのは完璧な孤独である。と同時に、僕が学生寮のキッチンで茹でていたパスタを思い出させる。もっともトマトソースではなくホワイトソースだったが。小麦粉とバターとミルクを合わせて作ったやつだ。そこにキャベツやら何やら余った食材を…

短編04:五月の海岸線

主人公は、故郷なるものとの葛藤を味わっているんだろうと思う。あるいは親とのそれを。現在、主人公は31歳で12年ぶりの帰郷なので19歳の頃にこの街を後にして以来、一度も帰郷していない。今回やむを得ない事情(この場合は友人の結婚式ということになって…

長編03:羊をめぐる冒険

今回読み返して感じたこと、羊三部作を僕は、本当には理解していなかったんだということだ。『ダンスダンスダンス』こそが羊三部作の続編だと捉えていたけれど(著者もそう公言しているが)、むしろ『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』に深く水…

長編02:1973年のピンボール

僕は本物のピンボール台には殆ど触れたことがない。ただし、任天堂のファミリーコンピュータで「ピンボール」というゲームがあり、高校生の頃に友人とやり込んでいたのを覚えている。もちろん、僕と鼠のようにとまではいわないが。友人は(仮にジェイとする…

長編01:風の歌を聴け

言わずと知れた、村上春樹氏のデビュー作。これを読むと無性にビールが飲みたくなる。そういう実際的な影響力を持っている作品だ。もちろん、当時大学生だった僕もビールを片手に読んでいたし、今読み返すときもビールは手放せない。そして、後年の村上作品…

人生の棚卸し 好きな小説家について

幼い頃から色々な本を読んできた。本を読むことは僕にとって、疑いなく生活の一部になっている。僕から本を取り上げたら1週間ともたずに干からびて死んでしまうだろう。 なかでも村上春樹氏の作品群には高校生の時に出会って以来、一貫して魅了され続けてい…