ずまログ

日常/非日常の印象を徒然なるままに綴ります

短編33:プールサイド

『駄目になった王国』と共通するプールサイドの場面ではあるが、本作の方が遥かに立体的な構成になっている。なぜだろう。それは、前作では話し手と聞き手が久しぶりに会う友人(但し相手は気づいていない)といういわば並列関係だったのに対し、本作では会ってから僅か2ヶ月の水泳仲間に過ぎず話し手である「彼」が前景に出て聞き手である「僕」が一歩引いていることにより、場面に立体感が出ている。プールの水は非現実的な程に透き通っており、水には中年の男と二人の女が浮かんでいて監視員である男が退屈そうに眺めている。これが「彼」と彼の「妻」、彼の「若い恋人」、そして「僕」の立ち位置を象徴的に表している。

最後部で僕は、彼の語りを移し替えたこの文章を、「彼」が読んだらどう思うだろうという問い掛けで終えている。それを読んだ読み手は、「では自分が「彼」だったとしたらどうかんじるだろう」と問い直さざるを得なくなるように思う。

読んでいる最中は、「彼」と「僕」の対話の傍観者だった読み手が、最後部で自然と「彼」の視点に立って考えることになるという視点の転換の効果が遺憾なく発揮された作品である。

 

ちなみに、僕も若い頃は35歳を人生の分水嶺だと考えて生きてきた。村上作品の影響は多分にあると思われるが。実際に自分が分水嶺を越えてから10年の歳月が経つ。妙なものだ。